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代表が思いのまま記載するコラム

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「青年社長」

著者:高杉 良 , 出版:角川文庫(\680.-) コラムNO.5

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私が最近読んだ本の中で、久し振りに読むことが楽しく、少しの感動も味わい、満足感と新たな意欲を掻き立てられたビジネス小説の一冊(上巻/下巻)でした。皆さんにも少し私が感激した内容を知ってもらいたいと思い、書いてみました。
エモーション(感情)を感じた方は是非読んでみてください。
<ストーリー>
渡邉美樹、これが主人公の名前です。22歳で大学を卒業した渡邉美樹は佐川急便のセールスドライバー(SD)になるところから物語りは始まります。この名前が誰であるかは、小説の中で徐々に明らかになってきますが、おそらくみなさんが知っていると思います。(名前は知らなくても・・)昭和57年の佐川急便はまるでたこ部屋同然の劣悪な環境で、一日に20時間を働くと言う過酷な仕事でした。朝6:30に出社し、集荷便の荷卸しを行った後配達を行い、夜には次の荷卸を行い、夜間の勤務で2時までという大変な仕事をしました。理由は一つ「高級待遇:月額43万円」の給与でした。何故?彼は小学校時代に決めた「社長になるという夢」を現実にすることを考えていたのです。
佐川急便では大卒ということからいじめに会い、一度だけでなく二度までも、丸刈りにされてしまうほどでした。前向きに取り組む姿勢と健康な体と一生懸命さで受け入れられ、川村課長からも幹部候補生になってほしいと言うまでになりましたが、1年間と決めた勤務を終え、300万の資金を貯めて佐川急便を退職しました。
 彼が事業として考えたものは、「外食産業」でした。学生時代の旅行で人が喜びや悲しみや、愛情などを表す場には必ず食というものがあり、地域を越えて人々を少しでも幸せにする手助けをしたいと言うのが、彼の考えでした。この外食産業を極めるため、佐川急便退職後、クラブでの接客を3ケ月,横浜駅西口と西横浜の2つの居酒屋での経験を積んで準備を行ないました。下積みでがんばっている間にも、祖母のやさしい愛情や父からの助言、そして将来の伴侶との出会いと、ドラマティックというかどんでん返しの結末など、いろいろなことがあります。これは読んでのお楽しみ!
 彼と一緒に事業をやろうという同志が二人、「黒澤と金子」。黒澤も経験の為に「つぼ八」に就職して、「つぼ八」高円寺北口店で店長を任されていました。
さて、ついに横浜関内に店を出すことを具体化して、黒沢に声を掛けスタートしようとしたところで、黒澤の「つぼ八」退社にストップをかける人物がいました。「つぼ八」チェーンの石井社長です。黒澤は石井社長に見込まれていたのです。これがきっかけとなり、渡邉は石井社長と面談し、自分の夢を語ります。石井社長からのビジネスに対する取り組みの甘さを指摘され、「つぼ八」のフランチャイジーになることを勧められます。縁とか出会いというのは、不思議なもので計算できないものですが、私達を含めて、誰にでも必ずあると思います。その人の感性と実力でものにできるかどうかではないかと、本当に思います。渡邉美樹は、FC権5000万の「つぼ八 高円寺北口店」でスタートする事になります。むろん資金が無いので、石井社長が融資先を紹介してくれたことは想像のとおりです。(ところで渡邉美樹は男です。女性名に思えますよね。)
 さて、会社を設立し、「つぼ八 高円寺北口店」でスタートした3人+1人(渡邉,黒澤,金子+?)は、居酒屋には無い接客マナーを導入し、朝から夜中まで働き、大繁盛店に仕上げていきます。大繁盛店までのいろいろなエピソードや新たな人材を求めて、旧友の沼田と呉との問題など、結構おもしろい話しが詰まっています。
ついに「つぼ八 大和店」も経営することになり、夢で見たお好みHOUSE「唐変木」の開店もすることになり、絶好調となります。ちなみにお好みHOUSEは関内に出店しており、横浜が中心でローカル色が私の地元と言うことも親しみを感じて読んだ原因でしょう。ちなみに会社の事務所も関内です。
 ところがやはり順風満帆のままではうまく行かないのが世のならわしです。絶好の場所として出店した、「白札屋 上大岡店」がもののみごとにハズレます。なぜ、「つぼ八 上大岡店」ではないのか、と疑問が沸くと思いますが、いろいろあるんです。
この危機は、会社の存亡を賭けるほどの危機となりますが、ここでも何とか凌げる応援をもらい、「つぼ八 上大岡店」に衣替えをすることで大繁盛店に変わっていきます。
 そのようなことをしている最中に、日経新聞に掲載された記事との出会いで大きな転換となります。渡邉美樹は、昭和61年12月8日掲載「日本製粉が外食専任担当課を新設」の見出しを見て,9時になるのを待って電話を掛けます。はたして、彼は自分の思いを、情熱を、ぶつけました。この報告を受けた日本製粉の坂元部長との出会いで、大きく飛躍していくことになります。「お好みHOUSE唐変木」をチェーン店にする運びとなり、日本製粉からも出資を受け、新宿に第一号店を出店します。若者受けする店内と本当に味の良いお好み焼きから、これも大盛況となります。(実はお好みHOUSEを開店するために、黒澤が大阪と広島にスパイとして潜り込みます。試行錯誤の末に、唐変木オリジナルが完成します。)2号店に東急デパートXX店,3号店に下北沢店を出店します。ただ、新宿店ほどの盛況にはなりませんが、ここで、売上を上げるために企画した、「宅配お好み焼き」を始めます。
「お好み壱番KEI太」がそのネーミングです。ケイタリングをもじってつけた名前ですが、残念ながら私はいままで知りませんでした。
 「唐変木」もFC事業として、加盟店が増え始め、「つぼ八」も他店の経営不振店買取り、盛況店に仕上げ、宅配KEI太もFC化で拡大し、渡辺美樹は、店頭上場を本気で考え始めます。会社設立から8年程度の期間でした。
この間には、いい話しばかりでなく、日本製粉から子会社化の抱え込みの動きがあり、最後まで尾を引くことになります。その後、唐変木やKEI太には、陰りも見え始め、新たな事業の建て直しが必要となり、渡邉美樹は新たなコンセプトを求めていました。
 この時期に大きなヒントをくれたのが、かつての恩人「つぼ八チェーン」の石井社長でした。実はこのときは社長ではなく居酒屋の店長だったのです。実は、イトマンに「つぼ八」を乗っ取られてしまっていたのです。渡邉美樹は、石井社長が作る暖かい心のこもった料理を食べながら、本物の食材で作る居酒屋「和民」のヒントをもらいます。「和民一号店」を出店したのは、それからすぐのことで、価格の安さと、サービスの良さで、大成功を収めます。つぼ八 各店も和民に衣替えし、次々に出店していきます。この成功により、いよいよ本当に店頭上場を具体的に目指すことで動き始めます。上場における日本製粉との軋轢と恩人坂元部長との葛藤などの試練を越えて、平成8年12月に店頭公開を実現します。……
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<最後に1.> 
私は、店頭公開に至る事業の決断や、意思の強さに感心すると共に、この間に発生した、幹部社員や社員との会話や心の動きが、とても強く印象に残りました。本当の社員への愛情とビジネスの厳しさ、何よりも意思の強さと決断する力、最後に経営における知識。経営を預かる方々はとても大変なのだという実感でした。
ワタミフードサービスは、平成10年7月 東証ニ部上場,平成12年一部上場へ進化していきます。
この会社が上場への階段を歩んできたサクセスストーリーに対する感激よりも、強い意思を持ってやっていくビジネスのすばらしさと、社員や家族との暖かな心の交流といったものが感じられる小説でした。
<最後に2.>
店頭上場した際に行なった披露パーティーでは、社員の両親をすべて呼び、壇上で一人一人の社員へスポットライトを浴びせ、著名人がたくさんいる中、一人一人を紹介していきます。このことからも主人公 渡邉美樹の愛情が感じられます。
<最後に3.>
渡邉美樹は、学生時代からかなりのリーダーシップを発揮できる人で、養護施設への寄付のための、コンサートを行なったり、恵まれない子供達との思いでの一日を作るための、横浜森林公園での運動会を行ったり、点字絵本を寄付するために10000人コンサートを開いたりしました。もちろん、開催のプロセスではちょっとジーンとくる話しもあります。リーダーシップとやさしさを兼ね備えている人物といえます。

まだまだ、たくさんのこころ温まる話しや、心の肥やしになる話しや、ビジネスのベースとなる話しがあります。是非読んでほしい一冊です。

コラム編集長 有松勝美


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