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代表が思いのまま記載するコラム

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「成功への贈り物」

コラムNO.3

 1960年、23歳のトム・モナハン青年は900ドル(10万円)を元手に弟とともに事業を起こしました。その小さなピザ屋は5年後「ドミノ・ピザ」と名前を変えて、今では世界最大の宅配ピザチェーンとして、われわれにもおなじみです。
でも、その歩みは尋常ではありませんでした。今回はトム・モナハン青年の話をしてみましょう。(この話はインターネットからの題材です。)
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● 幼くして父を亡くし、生活に困った母から里子に出され、母親に嫌われたトム・モナハンは孤児院へ入れられました。まもなく母親は弟までも孤児院に送ってきたのでトムの孤独は解消されました。しかし、トムが6年生になったとき、母が孤児院にやってきて、弟だけを引き取って帰りました。やがて規定の年齢に達し、母の元に帰りましたが、母から窃盗罪で通報され、警察に逮捕。その後は留置場と少年鑑別所で青年期を過ごしました。
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● 作り物のドラマのような最悪な環境で少年時代を過ごしたトムは、18歳で海兵隊に志願しました。普通の青年にとって過酷な訓練も、どん底からスタートしたトムにとっては、すべてがまばゆいばかりの感動と興奮の経験でした。
そうした彼にとって除隊後、弟と一緒にピザチェーンを経営することや、毎日15時間以上働くことはストレスの対象とすらならない喜びだったに違いありません。
はじめて人生の突破口を自らの力で切り開いたのでした。
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● それから10年間一生懸命働き、30店舗を超えるチェーン店を築いたトムに、新たな悲運が訪れます。店舗の火災です。ギリギリの資金計画の中で組み立てられたトムにとって、一店舗の売上ストップは組織の崩壊を意味していました。歯車が狂い始めたチェーン店は、やがて銀行管理に入り、トムは経営権を失いました。
● やがて銀行はドミノ・ピザの解散を決定しました。「待ってくれ!」この銀行の決定に抵抗したのはトムでした。
「私にもう一回だけチャンスをください。何年掛かっても会社の借金はすべて返済します。」銀行はトムの熱意に根負けし、トムに会社を引き取らせることにしました。
トムの挑戦が再び始まりました。
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● 業界全体を見ると、最大手のピザハットは全米だけで3000店以上を展開していた他、ピザインやシェーキーズなどの全国チェーンと比べてもはるかに小さい存在に過ぎないドミノ・ピザ。現状維持は敗北を意味していました。
● 真正面から戦っても勝てない場合は、敵の防御が手薄なところを攻撃するしかない。海兵隊で学んだ知恵を活かす時がきたと思いました。「奇襲攻撃をかけるしかない」
● 成功例のないビジネスアイデア、「宅配」に突破口を見いだそうとしていました。
●ライバル会社がどこも手がけていない、ピザの宅配というビジネスとして成功させることは出来ないだろうか?
たしかに消費者にとって電話で注文して30分後に熱いピザを食べられるのであれば便利に違いない。しかし、それをやって利益を出すには多くの困難があります。
●注文が集中すると昼と夜の要員確保,注文を受けてからすぐに焼き上げるための調理器具,配達途中の保温技術,配達の際の交通手段と安全対策,などなど、難問が多いのです。
こうした難問が多いからこそ、大手のチェーン店は手をださないのです。
「奇襲攻撃をかけるとしたら、相手がやりたがらない分野で攻撃を仕掛けるしかない」とトム・モナハンは考え、試行錯誤を繰り返して、難題を一つ一つ解決していきました。



● トムの宅配ピザ構想に対して周囲の反応はどうたったのでしょうか。
「すき間ビジネスには違いないが、宅配ビジネスがそんなに大きな市場とは思えないね」と冷ややかに笑ったのは銀行でした。
また、大手のピザハットでは「ピザの宅配ビジネスは検討済みのテーマなんだ。社内で検討させたがとても事業として成立するなんて夢物語だね」と言っています。
巨大な「金鉱」「金脈」がそこにあったのです。



● いろいろな苦難を乗り越えてきたトムの挑戦者魂がビジネスを前進させました。さまざまな工夫を積み重ね、宅配ピザのシステムを完成させたのです。
連続してピザを焼き上げるコンベアオーブン,ピザを宅配中に乗せるためのトレイ,段ボール制の回収不要のピザ箱,保温パック,派手なデザインの制服にスクーター,アルバイト要員の配置計画,給与システムなど、今の宅配ピザの原型はすべてトムが作ったものなのです。
● さてさて、「経済的に見合わない」と言われた「宅配ピザ」事業はどうなったのか。すでにみなさんが知っているように、大成功を収めることができました。トムの挑戦から25年、世界60ケ国に6000店舗以上を持ち日本にも200店舗以上もあります。
● ニーズがあってシステムが整備されれば、すき間産業でも巨大なビジネス帝国ができあがることを証明して見せました。



創業者のトム・モナハンにとって、劣悪な境遇や、事業の失敗といった不幸そのものが「成功への贈り物」であったに違いありません。
みなさんも環境などで不幸だと思うことを「成功への贈り物」変えてください。
PS:みんなが手を出さない事業ほど、成功の金鉱が隠されているといわれます。
   いろいろなハードルがあって取り組む意欲が無くなるからでしょう。
   みなさんの中に提案してみたいプランを思っている人がいたら是非報告してください。

コラム編集長 有松勝美


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